それについて。
 
 
 
■ ぜんぜん話は変わるが、この処、昔の文庫などをぱらぱらと読み返していた。
 中で、何度読んでもすごいというか、酷いというか、ついつい鉛筆で線を引きたくなるような部分があったので引いてみた。ついでに書き写してみる。吉行淳之介と金子光春の対談で。
 
 
●吉行 わたしは常々金子光春に感心しておりますのは、あらゆる人間を同じ平面でごらんになることができるでしょう。これは大変にむつかしいことで、水平に見ようとする意識を持つことはできますけれど、ただ実際にスッと見れちゃうってことは、これはなかなかできないと思うんです。そこんとこの具合をひとつ(略)。
 
●金子 はぇ。
 
●金子 若いときは色々あったけど、今はないんですよ。こっちが最低になったかもしれねぇんだ(略。このあとレプラかなんかの話をして、そのうちよく分からなくなる)。

●金子 いや、そりゃあ、一般には見てますよ。一般には見てますけどね。あの部分の横のほうの壁がツルツルになる奴がありましょう。なぜああなるのか。普段はヒダヒダなのに。それからお水の出る穴があるてぇますが、それも見てみたいしね、どんな具合に出てきやがるのか。それにツブツブのある奴が出たり引っ込んだりするでしょう。ゲンコみたいなのが奥からウニューと出てくる奴もありましょう。マラの先に蝶々がとまったようなものもありましょう、そういうカラクリをね。まあ微細に見てみたいと、目が悪くならないうちにね、ということです。今まではやることばっかり考えていた。不覚です。
(面白半分:49年4月号)
 
 
 
■ なんと申しましょうか。詩人というのは、すごいものである。
(以下、やや具体的記述が続くが、自粛)
 そういうものが、さまざまな形をしたものが、微妙にうごめいていて、時とともに状態を変える。
 あのね。これは、ひとりの男にとっては、かなり深刻な、重大なモンダイなんである。それをどのように眺めるかによって、その男の成熟度や人生に対する基本的な姿勢が分かってしまう。
 そこの処を曖昧にしたまま例えば結婚したりすると、奥さんと一緒に呼吸法をならったり、胎児をビデオに録画したりする。
 まあ、それはいいんだが、よく飲みにゆくと、いるでしょう、奥さんの写真を酒場の女性に見せたり、連れてきたり、幸せをまるだしにしているような男が。
 そういうひとたちは、なにを考えて生きているのか。
 幸せとは何なのか。
 ま、いいんですけれども。